写真は、私の母校である中央大学の校舎(場所は東京八王子)。手前の風呂敷に包まれているのは、母の遺骨。昨日母の遺骨を車に乗せて、松戸市にある姉のマンションまで行く途中に寄った際のものです。
当然母は大学なんか来たことはなかった訳ですが、生きていたら「えらい田舎にあるんだねえ」と言ったかもしれませんね。ちなみに、私の父もこの大学を出てるんですが、当時の校舎は都の中心部(神田駿河台)にあって、父は戦後の混乱期に働きながら夜学に通ったクチ。子どもの頃にそうした話をさんざん聞かされて、大学というのは自分のカネで行くトコロなのだと幼い頭で思い込んだものでした。
それで私も、2年次からの学費は自分でアルバイトして出しましたし、父が亡くなってからは奨学金も借りられて仕送りもいらなくなりました。それが当たり前のことだし、同級生の多くは働いてるんだからと思っていたものだったので、以前の民主党の代表選挙の際に、前原議員が早く父を亡くし奨学金を借りて大学に行ったことがあたかも苦労話のように宣伝されたときには違和感を感じました。まあ階層が違うのかな、と。もっとも親の側からすれば、目先の金よりもマジメに勉強してキチンと稼げるようになってくれ、と思ってたんでしょうけどね。
さて、写真の中央に黒い空間が見えますが、これは高さ約10メートルのガラス張りの窓になっている空間。その窓ガラスに、文字を大きく書いた模造紙を一枚一枚はっていって巨大な看板の役割をさせる。この通称「マドカン」をはるために、丸めた模造紙を背中にさし、H鋼の柱にしがみついて8メートルくらいの高さまで、命綱無しでよじ登ったものでした。一番高いトコロで10メートルくらいあったので、運が悪ければ死も、と毎度内心ビビリながら作業でした。
大学から公認されていない自主運営の大学祭(60年代末の学園闘争の影響で正式な学園祭実行委員会がなかった)のために、そんなことまでやってたんですが、少しは勉強してるかと思っていた息子がそんなことしてる姿を見たら、どう思ったかなあなどと考えながら、陽光うららかな大学内を遺骨をもって歩いたのでした。