●負けぶり
豊臣秀吉の無謀な夢でひき起こされた朝鮮の役で、明・朝鮮軍相手のし烈な退却戦という困難な状況にもかかわらず歴史的な勝利を果たし、「シーマンズ」と明・朝鮮軍から怖れられた猛将島津義弘。秀吉死後の関が原の合戦では、心ならずも石田三成率いる西軍の一翼を担うことになります。実戦を知らない官僚である石田三成の指揮の下、戦いが始まる前から情勢が悪いコトを察知した中で、以下のような会話が交わされます。
島津豊久:「この戦は、どう見ても徳川の勝ちでごあさんな」
島津義弘:「わからん。どれほどの負け戦であっても、一挙に頽勢を挽回するきっかけは一度や二度ある。望みを捨てるな。努めて冷静にその時に対処せよ。それが戦の要諦よ。」
私の今回の戦いも、2月半ばには情勢が悪いコトがハッキリしていました。しかしそこから、仲間と共に懸命な努力を続けてきたのでした、望みを捨てずに冷静に。
さらに、別なシーンでの義弘と他武将との会話。
島津義弘:「よいか、負けぶりのよさとは、戦場で討死することではない。生きて生き抜き、国許に立帰っていま一度、一戦を試みる気概を示すことだ。」
そして、関が原の戦いが徳川・東軍勝利で終わった後、島津軍700人の軍勢は一丸となって、6万人の東軍中央に突っ込み、敵軍中央を突破して薩摩に逃げ帰ります。そして、その負けぶりのよさをもとに徳川と交渉を続けて薩摩領の維持に成功。それから260年後の明治維新において、長州と共に徳川幕府を倒すということになっていったわけです。
今回の私の選挙は、学習塾の教え子たちなどの、少数だが熱意ある仲間の人たちと戦い抜くことができました。その負けぶりはどうだってでしょうか? 私は、堂々たる負けぶりを示せたと思っています。だから、次の戦いへ進めると、自信を持って思っています。応援してくれたみんなどうもありがとう!
(写真はポスターを張っている教え子たち。戸田地区では一番乗りでした・笑)
