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2007年12月09日

●山梨県立博物館2

  昨年3月1日のブログで、私は以下のように書きました。

 『先年亡くなられた日本中世史の研究者・網野善彦氏が基本構想作りから主導した(網野氏は山梨出身)、山梨県立博物館が去年の10月に笛吹市にオープンしたとのこと。いわゆる「網野史学」については書き出したらキリがないのですが、この記事の中では「学界や大学に閉じこもり、社会的影響を持たない学問に網野さんは怒りを感じていた。」という館長の発言が印象的。一部の専門家や好事家のためではなく、多くの人にとって意義のある歴史学とは何なのか。その課題への試行が、この博物館の展示内容に表されているようです。ぜひ一度見にいきたいなと思うと同時に、静岡にある登呂博物館もそうしたモノに変革していくことができたら、と思うのでした。』

 その山梨県立博物館に今日行ってきました。「一部の専門家や好事家のためではな」いモノにするために、文字や文章でなく、展示内容を体感できるように工夫が凝らされているのは実感できました。

 しかし、日曜日の昼間にもかかわらず、広々とした館内にいた見学客は20人足らず。「学界や大学に閉じこもるのではなく、多くの人にとって意義のある歴史学を創っていく」。そうした理想を実現するコトの難しさを痛感しましたデス。

 そんな中でも、中世農村社会には、農民だけではなく様々な職種の人々が存在をしていたコト。中世社会では離婚した例が数多く見られるなど(山梨県立博物館の持っている資料だけで30ほどの離縁状があるという)、女性が大きな経済力を持っていたコト。

 日本の中世社会は、農民-稲作だけの社会ではなかったし、単純な男性中心社会でもなかった。そうした歴史的事実を示す展示に、「網野史学」の影響が垣間見られた点には、明るい希望を感ずるコトが出来ました。

 写真は、博物館の庭にあった道祖神。山梨県では、こうした丸石を道祖神として祀る(まつる)風習が広く存在していたのです。ちなみにこうした丸石を祀る信仰は、静岡県内にも存在しています。そのコトを、高校教員を続けながら一生をかけて地道に研究したのが、網野氏の叔父さんだったのでした。

 残念ながらそんな生き方は出来ていませんが、そうした人に私は憧れますのデス。


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