2007年11月09日

●本の旅 『梅の花咲く 決断の人・高杉晋作』

 作者は、私が好きな政治家の一人である元衆議院議員の田中秀征氏。     田中氏は、私も尊敬する石橋湛山元総理を理想として、その石橋内閣の官房長官を務めていた衆議院議員の秘書となった後、長野選挙区で4回衆議院選挙に挑戦して落選。'83年に5回目の挑戦で当選した後、'93年に新党さきがけを結成。第一次橋本内閣で経済企画庁長官を務めた人物。

 '96年衆院選で落選した際に、「この選挙区からこの制度では出馬しない」と宣言し、大学教授を務めながら、「田中秀征の民権塾」を主宰。私もこの塾に参加してお話を直接うかがった経験があります。また、'01年の県知事選で水野誠一候補の応援演説をしていただいた時に、浜松駅頭でその対応をしたこともありました。

 さてその田中氏が、明治維新の立役者である高杉晋作を描いたこの小説では、コトがうまく進まない状況の中で、鬱屈した心情を抱える高杉晋作像が描かれています。

 『追い詰められて自宅に引きこもっていた晋作は、打つ手に窮して日々呻吟していた。(略)未だこれと言って世のため人のためになったと胸を張れるような仕事はしていない。ここで死んだら、単なるわがままっ子、単なる道楽息子で終わってしまう』

 こんな心情が描けるのは、連続4回落選を経験した田中氏ならではのコトなのかもしれません。自分の身に照らしても、心から共感できるトコロです(笑)。

 この田中秀征氏の選挙区があった長野県で、脱ダム宣言などのさまざまな改革を行った県知事として田中康夫氏は有名です。その田中康夫氏が代表を務める新党日本という政党の政策作りに協力する活動を、このトコロ行ってきています。

 そうした活動を、静岡県内の自治体議員の人と連携するコトも加えて仕事化できないかと、この間追求してきました。昨日も東京に行ってきたのですが、結果としてこの新しい仕事は断念するという結論に至りました、残念。

 『尺取り虫のように身を屈しているのは、やがて龍のように大きく伸びるためだ。それまではたとえ奴隷となっても、下僕となってもいとわない。』

 このような内容の詩を高杉晋作が吟じ、『何ごともこれからだ。これからの仕事を見ていてほしい』と思いながら長州を離れ、九州に状況の打開を図りにいくシーンが、この小説の中でありました。

 自分も確かに「尺取り虫」。「これからの仕事」を自分の力で切り拓いていくことができるでしょうか。まさしく正念場でありまする。

 さて?

 
 

2007年10月02日

●本の旅 唯川恵

 実家の本棚にあった、唯川恵の『ゆうべ、もう恋なんかしないと誓った』という文庫本を、柄にもなく読んでいる(苦笑)。

 20作以上の短編集で、今のところ印象に残ったのは、『壊れゆく女』と『結婚の条件』という作品。

 『壊れゆく女』は、長い付き合いだったカレシが1年間転勤するコトになって結婚話を持ち出されたけども、1年延ばすコトにした結果、彼が他の女性と結婚するコトになってしまった女の話。

 「彼は仕方なしにあの女と結婚する。赴任先で世話になった義理を果たさなければならないと思っている。だから、心を鬼にして8年も付き合った自分に別れを告げている。そういう律儀なところが彼にあった。」

 そう思い込んだ女は、元カレシへのストカー行為から、相手の女へのストーカーへと行動を悪化させていく・・・。

 孤独感から妄想に取り付かれていく過程が、何となくうなづける。そう信じ込まないと自分を維持できないというコトなのでしょうが、それによって社会的には自己崩壊していってしまうワケで、何ともオソロシイ・・・。自分も気をつけないと(笑)!

 『結婚の条件』は、恋愛を信じて純な気持ちで結婚しても破綻した友人、恋愛に背を向けて条件に見合うオトコと結婚して破綻した友人を見て、「いったい何が賢い選択なのだろう」とため息をつく女性が主人公。

 「・・・自分以外の誰かのために何かをしてあげるということを知らないまま、ひとりの食事に慣れて、面白いことがあっても隣で一緒に笑ってくれる人もなく、我を忘れてケンカをするという感情を味わうこともなく、気がつくと独り言が多くなってゆく今の生活の方が、果たして本当に幸福と言えるだろうか。」

 そう考えてため息をつく、というラストシーンは身につまされました。いや~、弱ったモンだ(笑)!

2007年10月01日

●本の旅 『ブルー・オーシャン戦略』

  いわゆる経営戦略本。あまり読まない類の本だけれども、必要性を感じて読んでいる。

 市場には「赤い海 レッド・オーシャン」と「青い海 ブルー・オーシャン」がある。

 レッド・オーシャンは、今ある産業のすべて、既に知られている市場。競争が激しいため、赤い血潮に染まっていくのでレッドなワケ。

 ブルー・オーシャンは、今はまだ生まれていない市場で、新たな需要を掘り起こすコトができる。

 この海図なきブルー・オーシャンを切り拓く戦略が、「ブルー・オーシャン戦略」というワケ。

 県政や国政という場は、自民・民主の二大政党による場となり、今後もその傾向は強まっていく。
  
 そんな実感を、自らが挑戦した4月の県議選、きべいちクンが戦った7月の参議院選で痛感した。

 そうした中、政治の場でもブルー・オーシャンを切り拓く可能性はあるのか?

 そんな関心を持って読んでいるが・・・さて?

2007年09月14日

●本の旅 『大日本主義か小日本主義か』

先週、東京への電車の中で読み終えたこの本。著者は、三浦テツ太郎(テツの字が出ないのでカタナカ表記)。石橋湛山の前の「東洋経済新報」の主幹を務めた人物。

  石橋湛山は、戦前に「東洋経済新報」誌上で「小日本主義」に基づく戦争拡大反対論を展開、戦後は総理大臣にまでなったことで名を知られているが、この三浦テツ太郎はほとんど知られていない。

  静岡県大井川町出身の三浦は、この本の書名にあるように、「東洋経済新報」誌上で「小日本主義」を主張し、石橋湛山の「小日本主義」思想の土台を築いた人物。

  「大日本主義」には「小日本主義」、「軍国主義」には「産業主義」、「国家主義」には「個人主義」を対置して、植民地満州の放棄論を展開。それによって、財政改革、減税を実現し、産業貿易を発展させるコトができると主張した。

  このような主張を展開した、大正2年の「東洋経済新報」での「満州放棄か軍備拡張か」「大日本主義か小日本主義か」の二大論説文は一読の価値アリ。

  田中康夫氏が代表を務める新党日本が、この思想を継承する主張をしているコトを、先日のブログで書いた。それが本当であるならば、大いに興味アリ、だ。

2007年09月10日

●本の旅 『自治体破産』

  土曜から3日間、青春18キップを東京に行ってきた。電車に乗る前に買って、車中で読み終えたのがこの本。

 地方自治体の借金である地方債。この地方債が、赤字を埋めるために発行されてきた。特にバブル崩壊以降、景気回復のためと称して大型公共事業を行うために大幅に増やされてきた。

 これは、自治体の発行した地方債を、後から地方交付税(国から分配される)で面倒見てあげると、国が誘導してきたから。

 フツー人は、自分の予算の枠の中で、より安くより品質のいいモノを買おうとする。これを「ハードな予算制約」と呼ぶ。しかし、誰かが面倒を見てくれるとなると、甘い考えで買い物をするようになる。で、これを「ソフトな予算制約」と呼ぶ。

 「いくら借金しても、国が面倒見てくれるからいいや」という感覚=「ソフトな予算制約」が自治体に広がってしまった結果、自治体の借金は増大してきてしまい、いち早く破綻してしまったのが北海道夕張市というワケ。

 この「ソフトな予算制約」の問題は、静岡空港事業でも現われていた。「国の借金だから使わなきゃソン」「後は何とかなる」という感覚、気分とずっと戦ってきたように思う。1995年の公聴会で、地元の老人が述べた「どーせ出来るんだから、もらえるモンもらわないと」という発言に象徴されていた。

 結局このカベを崩せなかったわけだが、現在の沼津駅高架化事業の問題でも同じ語り口がなされている。「どーせ国や県の金。もらわなきゃソンだ」と。

 『本来、必要のない事業であったとしても、借金をしてでも公共事業に取り組んだほうが個々の自治体にとっては、有利な結果になる。まさに、こうした制度そのものの中に、自治体財政を悪化させていく仕組みがビルトインされていると言っても過言ではない。』(同書 P115より)

 なるほど。個々の自治体にとっては一見「合理的な借金」なわけだから、県政や市政の場でいくら「税金のムダ使い」と主張してもナカナカ共感を得られないワケだ。

 国レベルの制度を変えなきゃ、どうにも変わらないワケね。よく分かった。

2007年09月04日

●本の旅 『日本を』 『「脱・談合知事」田中康夫』

  青春18キップを使って鈍行電車で東京に行く。実家からだと片道5時間。

  車中で、先の参議院選で新党日本から出馬して当選した田中康夫氏の本2冊を読む。

  この新党日本が、石橋湛山の唱えた「小日本主義」を引き継ぎ、発展させると宣言していたコトを初めて知った。

  石橋湛山は『東洋経済新報』主幹として、戦前の侵略戦争を「大日本主義の幻想」と誌上でキビシク批判。植民地を拡大するのではなく、自由貿易を進めることによって経済的繁栄を追求すべきという論を展開。

  戦後には沼津市選挙区から衆議院議員となり、大蔵大臣などを務めた後、総理大臣となった人。

  私も尊敬する政治家である石橋湛山。この湛山が唱えた、経済や文化を重視する「小日本主義」。

  この看板を掲げる政党は、「新党さきがけ」が無くなった今、もはや存在しないモノだと思ってた。

  不勉強の極み。ハンセー!

2007年08月31日

●本の旅 『真っ当な株式投資』

昨日、ある政治家主催の会合に出席しました。会の内容をよく知らずに参加したのですが、20~40代の政治に関心のある人を集めて、政治指導者像を語るというモノだったようです。いろんな意見交換がなされる中で、これから2年間続けていくという発言も耳にしました。2年後という中長期的展望をもっての政治活動のスタートというコトなのでしょう。

 この1年間、自分の県議選からきべいちクンの参院選と目まぐるしく動いてきて、戦いが終わってからのここ数十日はダラダラと自堕落な日々を過ごしてきましたが、そろそろ2年くらいの中長期的な展望をもって活動する準備を始めていかなければと思ったのでした。

 帰ってきて、板倉雄一郎著『真っ当な株式投資』という本を読み終えました。著者は、かつてIT企業経営者として一世を風靡した後没落。その経験を記した『社長失格』という本を興味深く読んだコトがありました。

 「株式投資とはより良い社会を創るための議決権の行使である。価値ある企業、価値ある経営者に投資することによって未来への影響力を行使すべき。投資することでそうした企業を応援し成長させることによって、より良い社会を創ると共に、長期的に高い利回りを得ることによって、社会も投資者も得をする。儲けだけを追い求めた短期的投資は、パチンコと同じ遊戯か投機にすぎない。」という主張(私なりの解釈ですけど)には共感できました。

 短期での損得に目を奪われず、自分が価値のあると思った企業に長期的視野をもって投資していくべきであり、その企業が成長していくコトによって長期的に利回りがもたらされるのだと。

 その考えを、政治活動の場に置き換えてみたらどうなるのでしょうか?より良い社会を創るために政治活動があるのであり、そのための投資として選挙というモノがあるとするならば・・・。

 一般的には、価値ある企業の成長というよりも株式投資の儲けに目を奪われてしまうように、選挙に勝つか否かに目を奪われてしまうものです。「投資は儲けなきゃしょうがない」と言うように「選挙は勝たなきゃしょうがない」との言葉もよく耳にします。それはそれで部分的には正しいとも思いますが、「選挙に勝つ」=「より良い政治を実現する」という単純なモノでもないことは、いくつかの勝利の結果の経験の中で痛感してきています。

 思い起こせば、96年の自分の衆院選挑戦という乾坤一擲の投資は、以後の県知事選につなげることができました。その点では、その後の未来に影響力を与える投資とするコトができたと言うコトができるかと思います。00年の町長選挑戦は投資効果が少ない失敗例でした。07年の県議選は、きべいちクンの参院選につながり、その成果をこれからどのように生かすのかが、今後の活動に問われているわけです。

 そうしたコトを考えつつ、そろそろ自堕落な日々に終わりを告げて、2年くらいの中長期的な展望をもって活動を始めていこうかなと思った、8月の終わりの日なのでありました。